7. 高田対トレバー・バービック高田延彦、Uインター時代、私が最も傾倒したレスラー。寝ても覚めても高田延彦一色だった。 成田時代の寮の部屋は、壁全面、高田延彦のポスター。 当時の会社の自分の持ち物には、すべて「高田延彦」と書いていた。 いまだに飲み屋でのボトルは「高田延彦」と書く。 新生U時代、前田シンパだった私。 崩壊後も当然リングスを全面支援。 しかし、当時の”猪木信者”宮戸取締役の打ち出した戦略が見事、猪木チルドレンの心を射抜いた。 「プロレスこそ最強の格闘技」 前田氏は当時リングスオーバーのために、プロレス界をけちょんけちょんに言っていた。 それにともない、気持ちが高田氏へと移っていった。 そこに、”格闘技世界一決定戦”と銘うった大会が。 猪木さんの路線を完全再現。 元WBC世界ヘビー級王者、トレバー・バービックの担ぎ出しに成功。 記者会見も金をかけて、(確かアメリカで?)高田氏は猪木さんよろしく、紋付袴で登場。 (こんな豪華な演出今やるとこないもんな。) チケットは即おさえた。 運命の日は91年12月22日(だったと思う。)、両国国技館だった。 高田氏当時ボクシングの日本ランカーと練習。 練習中、わき腹を折る重症。 この試合はシュートだったので、そんな情報は一切流れなかった。 社運を懸けた一戦。 シュートだけに負けたら会社が傾く。 まわりのスタッフや選手も興行を中止させるべきか否か、すったもんだした。 しかし、莫大な経費をかけた一戦、中止にしても会社が飛んでしまうかもしれない。 高田氏は痛み止めを打ち、まさに"命懸け”のリングへ向かった。 試合前のルール問題はこじれていた。 バービックサイドは、ローキックは無しを主張。 しかし、Uインターサイドは却下。 (何せ社運を懸けているから。) ルール問題は解決しないまま、両者リングイン。 両国歌斉唱に緊張感が高まる。 バービックの両足ぐるぐる巻きにしたテーピングがローへの警戒感を感じさせる。 いよいよゴング! 高田は定石通り、ボクシングに無いローを散らしていく。 バシバシ入る。 そのたびに、バービックはクレーム。 我々(3名で観戦。)は歓喜。 「もっと蹴れーっ!」 蹴りまくる高田。 らちがあかないとばかりに、場外へ逃亡したバービック。 試合放棄。 高田の勝ちだった。 この結果を受けた観客のほとんどが不完全燃焼。 ブーイングの嵐だった。 しかし、私は違う。 頷きながら、拍手をし、「完勝、完勝!!」と叫んだ。 ローに対応できず逃亡したんだからね。 ファンとしても、プロレス最強を謳歌できたいい興行でした。 |